たぶん、フツーのお母さん

自分のペースを探る、背伸びしない暮らし。

言い訳なんてしてていいわけ?

昨日はぞろぞろ引き連れて、また練習会に行ってきた。自転車で、山あり谷あり片道40分。帰ったらさすがにぐったりで、夕飯だけ食べてフェードアウト。起きて残るは軽い筋肉痛。翌日出るなんて、まだまだ若いわねワタシ、と自分を励まして起きる。



子どもたちは相変わらず朝からぐだぐだ言っている。
正直、下を見ればキリはなく、朝起きてるだけマシ、走ってるだけマシ、体操してるだけマシ、ちゃんと練習に行ってるだけマシ、ワタシが子どものころより全然がんばってるんだけど、ワタシは何かでプロになりたいなんて夢にも思っていなかったし、それほどやりたいこともなかったから、そもそも同じ土俵に立っていない。言い訳するような目標もなかった。


言い訳ばかりしているムスコに説教をしていて、ふと気づいた。片づけとは、自分で言い訳ができない状況を作ることなんじゃないかと。
散らかってるから掃除ができないというのは、たぶん掃除がしたくないから。片づけるのは、掃除は嫌いだけどやらなくちゃならないことだから、せめて掃除がしやすい環境を整えること。
逆に掃除は好きなんだけど〜という場合は片づけをやりたくない。ホントに掃除をしなきゃならないという状況なら、腹をくくってやらざるを得ない。


足が速くなりたいけど練習は苦しいからしたくない。
どっちの気持ちが強いかで、乗り越えるか乗り越えられないかが違う。
言い訳してやらないムスコは、まだ走りたくないほうが勝っているのだ。でも、努力しないで速くなるほど世の中甘くない。だから、俺は脚が遅いから仕方ない、と自分に言い訳をする。ムスメなんか言い訳の塊で、脚はそこそこ速いのに、体力がないとか女だからとかスタート位置が悪いとか相手が悪いとか言い訳ばかりしている。努力が絶対に報われるとは思わないけど、努力は自信に繋がるし、必ず自分の中に蓄積されている。努力していない人とは違うのだ。努力せずにできる人もいるけど、そういう人は努力を努力と思わず、自然とあたりまえにやっているような気がする。好きこそもののあわれなり。好きだから、毎日勝手に身体が動いてる。それができないなら、自分で気持ちを整理するしかないのだ。


思えば、ワタシも言い訳ばかりしている。
もしかしたら、片づけに邁進している人というのは自分に言い訳をして生きてきたのかもしれないなぁ。その思考を変えるために、片づけをして自分に言い訳ができないようにしているのかもしれない。

部屋が雑然としていて集中できないから、部屋を片づける。
物が多すぎて片づかないから、物を減らす。
忙しくてできないから、用事をさっさと片づける。

そうやって、自分にしている言い訳をひとつひとつ潰していっているのかもしれない。
実際、片づけたことでできるようになったことや、気持ちが整理できたこともたくさんある。


それでもまだ、ワタシもひとつし続けている言い訳がある。
いつか解決できるのかな。
自分なりに努力はしているけど、なかなか根本的解決に到達していない。
いいかげん、乗り越えなくちゃなぁ。