たぶん、フツーのお母さん

自分のペースを探る、背伸びしない暮らし。

どっちが現実逃避?

また、戸棚を整理している。

これは現実逃避なんじゃないかと思う。

休み明けにやることが多いのは、休みに溜めたストレスを解消しているのか、はたまた休みから日常にリセットするために現実逃避からスタートするのか。
どちらにしても、ものは少しずつだけど確実に減っている。



今日は手芸材料を減らした。
もともとだいぶ減らしてある。
でも最近はさらにやらなくなった。趣味は実用も兼ねた自転車に絞ろうかと思っている。リメイクやお直し程度ならやるけれど、大掛かりなものを作ったりする時間も気力もない。
何より、手芸や絵などの手先を使う作業はワタシにとって母へのコンプレックスの対象なのである。もしかしたら、だからこそムキになってやっていたのかもしれないけど、対抗しようとも母とは違うし母のようにはなれないのだから、ワタシはワタシの道をゆこう。

もう、子どもたちのものを作るようなこともほとんどないしね。


それに、手元に材料があるとそれに縛られてしまう気がする。
だから、作りたかったら作りたいときに必要な分の材料を買えばいいのだ。
不器用なワタシは、けっきょく作っても気に入らなくなって手放すことも多い。
その辺りも踏まえて、ホントに必要なものなのかをよく見極めなくちゃならない。



けっきょく、まだ使えるかもしれないとものを捨てられないのは、自分の可能性に対する未練なのかもしれない。

自分でもやらないとわかっているのに、すっぱり諦めきれない。

後回しにして溜め込んでおいて放置されてるものも、いつかやる気になるかもしれないという未来の自分への期待なのかもしれない。

でも、ずっとやりたくなかったことが急にやりたくなるかなぁ?

やりたかったら、きっと言い訳はさておき、やりたいときにやる方法を必死に考えるんだ。
子どもが寝てる間に。
学校や幼稚園に行ってる間に。
こうすればできるんじゃないのか。
やらないのは、できないからじゃない。やらないからだ。
できない理由を探したり、誰かのせいにしてしまうのは、自分の意思の弱さを隠そうとするから。
少なくとも、ワタシは。


いらないとわかっているのに、このままじゃいけないとわかっているのに、片づけたり処分したりできないのは、過去の自分の失敗や、飽きっぽいところや、変えていかなきゃいけないダメな自分を受け入れられないからなのかもしれない。
歳をとれば衰えることや、家族がいれば自分だけ好き勝手できないことや、子どもはどんどん大きくなることや、日々暮らしは変わってゆくことを現実として受け止められないとものもストレスも溜まる一方で、現実との差が大きくなるほど見切りをつけるのは難しくなる。定年退職したお父さんが抜け殻みたいになるのも、会社員でなくなる自分を受け入れられないからなのかも。熟年離婚になるのも、抜け殻みたいになった夫を受け入れられないからで、たぶんお互いにやりたいことをしてる夫婦してる夫婦ならそうはならない。変わってゆくのなんて当たり前なのにね。


未来の自分へ託すんじゃなくて、
未来の自分のために今できることをやろう。

左側の、手芸関連とカメラ関連のスペースを整理した。
自分のものは最小限に、共用のものはゆったりと収納できればいいかなと思っている。