たぶん、フツーのお母さん

自分のペースを探る、背伸びしない暮らし。

小さな世界

昨日は女子サッカーの試合だった。

同じチームの5年生のお宅の車に乗せていただき、あの寒空の下を半日外で過ごすという暴挙。
なのに、別行動で短い時間しか外にいなかったはずのチチのほうが腹下し。母は強し。

試合会場でも同じ市トレセンのサッカー女子ママたちとお話ししていたけど、やっぱり女子は強し。一抹の恐怖感すら感じながら、今日も女子率高い職場でビクビクしながら働いている。女子は、強くて可愛い。
そして、女子率高い職場で働く男子たちは気の利く紳士が多い。女性の社会進出があたりまえになりつつある世の中、ムスコもあんなふうに紳士的に振る舞い、可愛がられる男子に育つと生きやすいかもしれない。
実は、生まれながらの要素はあるのだから。

年賀状は印刷したもののまだ書いていない。
去年は先に年賀ハガキを買ってしまってから、世の中は進んで今どきはテンプレから写真を挿入して自分でデザインし、それを年賀ハガキに印刷して、あわよくば宛名まで印刷してくれて投函してくれるシステムを知り、悔しさのあまり歯ぎしりしながら自家生産していたものだが、今年こそはと早め(当社比)に印刷注文して届いたのはいつだったか。
休みも休みでないわが家。子どももいなけりゃワタシもいない。夜は次の日に備えて洗濯をしてから早めに就寝する毎日に、年賀状を書く心の余裕などなかった。本当に。


今年は、もうこの先会わないであろう人に年賀状を出すのはやめようかと思う。

今まではオマケでも飲み会に呼ばれたりしていたお仲間からも、今年はお誘いがなかった。この先、お誘いが急に増えることもないだろう。個人的にごはんでも誘おうかと思っている数人以外は年賀状はいいかなと思う。いちおうSNSでは繋がっているけれど、年々共通の話題も減り、お互いに会話のネタも尽きそうだ。
同級生や子どもが小さいときのママ友達なんかも個人的にSNSなどで繋がっている人はともかく、連絡も取らないであろう人に年賀状を出し続けるのもなんだかただの惰性のような気がする。

今さらだけど、本当は今現在会って話したりする人や、再会したときに会っていない時間がなかったかのように今の自分のままで付き合える人とだけ繋がってればいいんじゃないかと思う。未練たらしく過去の友達と繋がり続けて安心しているのは自己満足なのかもしれない。



ここ最近お仕事などで外の世界にも進出しているけれど、やっぱりワタシは小さな世界にいるのが心地いい。
外に出ていろいろな人と話すのも楽しいけれど、そこから人間関係を広げていくのは少し面倒に感じる。昔から特定の誰かとだけ仲良くするとかいうことができないハハ。グループに入ったりヤキモチを妬かれたり仲間外れにしたりされたりするのが苦手。気づけば子どもたちも知らぬ間に、かたや老若男女誰とでも仲良くなるムスメと、なかなか自分から輪の中に入っていけないけれど、基本は誰とでも話せるムスコに成長した。

ワタシは、そのとき目の前にいる人と過ごせればいい。
今は会えなくても、気の合う友達とは再会すれば変わらない。それは、年賀状やSNSで繋がっていなくても同じじゃないか。もちろんSNSで会えない時間を埋め合わせている部分もあるけれど、埋まるどころか広がるばかりの関係もある。

広いようで、小さな世界。
最小単位は、家族だけ。
あとは、その周りにいる人々。
それだけでもう、いっぱいいっぱい。

ワタシは小さな世界の住人のままでいいや、と思った。
たとえ小さな世界でも、月日が経てば新たな出会いもあり別れもある。
それでいいじゃないの、上等よ。


お母さんになっても、相変わらず特定の人とだけ特別に仲良くなったりができないワタシをチチは人づきあいが下手だと言うけれど、その代わり知らない人や特別に仲良くはない人とでも話せるし行動できるなら、それはそれで楽しいよ。
関係性は薄いけど、しがらみもない。
そんな関係も悪くない。

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