たぶん、フツーのお母さん

自分のペースを探る、背伸びしない暮らし。

もう、ドリルは買わない。

朝4時起きで、2時間半かけてママチャリで練習にゆき、また2時間半かけて帰宅したムスコが床で寝落ちている。当たり前だ。誰の子だ。紛れもなくワタシの子だ。2時間の練習のために往復5時間かけるおバカ具合。でも、自転車で行ったから渋滞に巻き込まれず、遅刻しなかったらしい。結果オーライ。起こさないでおいてやろう。

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で、後回しにした掃除機がかけられなくなったハハは、子どもたちに買ったものの打ち捨てられたドリルをやっていた。思い返せばハハは学校の成績こそ中の上だったが勉強が好きじゃなく、ン十年経った今となっては小学校の勉強も国語や計算ならなんとかこなすけれど、はてさて社会やら理科やらとなるとだいぶあやふやで、外国語もノースピークイングリッシュ、数学や物理にいたってはすでに学生時代から落ちこぼれていた。打ち捨てられたドリルをやっていると、自分のそんなあやふやな記憶力を突きつけられてだいぶイヤな気持ちになった。
それでも、そのまま捨てるのはもったいない気がしてなんとなくやっていたのだけど、この時間は有意義な時間だろうか。もっと他のことに使うべきじゃないのか。確かにおバカなお母さんでは困るけど、意地になってドリルを終わらせたところで子どもたちに「お母さんはやった!」とえばる以外に収穫はあるのか。ならば、参考書でも買ってちゃんと勉強したほうがいいんじゃないか。と、悶々として手が止まった。



そして、新たに心に決めた。
もう、ドリルは買わない。
春休みにムスメに買った4年生のドリルは、夏休みの宿題がほぼ終わったムスメの追加教材として使っているけれど、中学生になったムスコはテスト前の追加教材として数学の問題集を使ったくらい。それ以上の余裕なんてない。

新学期から朝5分くらいの暗記系の勉強をしてみたらと勧めてみようかと思っているけど、それってもしかしたら学校の教材でも充分かもしれない。


ついつい、子どものこととなるとムキになって悩んでしまうけど、ホントは子ども自身が切羽詰まって考えなきゃいけないことだよなぁ。だって、子どもの人生を代わってやることはできないんだもの。
ワタシたち夫婦はどちらかというと放任で育てられ、親から勉強しろとか言われずに育ってきたので、逆にどう接すればわからなくて先回りしてしまう。たぶん、何も言わなくても子どもは育つのだ。だけど、育ったものの、育った自分にイマイチ自信がないのかもしれない。だから、親と違うことをしようとしてしまうのかもしれない。

夏休み中にもったいないドリルを終わらせてやろうと思ってたけど、それよりも前を向いて今の自分のためのことをやろうかな。
これまた、ついつい自分のことよりも子どものことばかり考えてしまうのだけど、それも一種の逃避なのかもしれない。
そして、打ち捨てられたドリルを必死になってやってしまうのは、自分の失敗を認められないからだろうなぁ。断捨離の精神に反するわ。

失敗は、自分を知るための勉強なのだよ、きっと。



□□□読んだ本□□□

トットの欠落帖 (新潮文庫)

トットの欠落帖 (新潮文庫)