たぶん、フツーのお母さん

自分のペースを探る、背伸びしない暮らし。

SNSとワタシ

20年来の友達数人と久しぶりに会った。
当時は毎週のように遊んだり、そうでなくても月イチとか遊びに行ったり飲みに行ったり、でもワタシが子どもを産んでからなんとなく距離が開いてしまった。それでもTwitterなんかでずっと繋がっていたけど、そのTwitter自体をワタシがやめてしまった。

Twitterで繋がっていても、会ったり会わなかったり。子どもがいるのはワタシだけだからなんとなく話題にもついていけず、それでも今回は声をかけてもらえてすごく嬉しかったし、やっぱり楽しかった。みんな面白くて、優しいなぁと再確認した。ワタシがわからない話題だと丁寧に説明してくれて、その話しぶりもマニアックぶりも面白くて、でもこの置いてけぼり感がツラくてワタシはTwitterをやめたんだなぁとも再確認した。自分が今身を置いている世間では子どもがいるのがデフォルトだけど、そこにいると子どもがいるのが少数派なのだ。まだ今は社会に接しているからいいけど、専業主婦が社会から取り残されたように感じるのと似ているかもしれない。

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でもねー、やっぱりときどき他の世界を覗くのも楽しい。ワタシの知らない世間が見える。

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そして、そうはいってもやっぱり重なる部分もたくさんあって、会話をすると安心する。まったく違う世間で暮らしてるわけじゃなくて、みんなそれぞれ少しずつ違った世間で重なったりしながら暮らしているんだ。たまたま彼女たちの世間との距離が離れてしまったけど、それはワタシが今身を置いている世間でもそうで、同じように見えてもみんなそれぞれ少しずつ違っていて違和感を感じたりときに取り残された感を感じたりしながら暮らしている。そんなとき、今残しているLINEのタイムラインもFacebookも、切ってしまったTwitterと同じでいらないんじゃないかなぁと思うけど、今身を置いている世間と繋がっているからなかなかTwitterのように思い切れない自分がいる。


ちなみに、LINE自体は連絡手段として重宝しているので必要。仕事のシフトや連絡もLINEで来る。タイムライン機能がいらない。同じ理由でFacebookもいらないと思うけど、ジジたちが楽しみにしているようなのでたまに記事を上げる。Facebookの友達の誕生日通知機能とかホントいらない。お祝いしてほしい人は誕生日でした記事を書いてくれるから、そこにおめでとうするからいらない。もうそろそろ誕生日がめでたいって歳でもない。

他人の近況報告を見ていると、ほっこりすると同時に焦ったりもする。今は比較的、置いてけぼり感を感じたりすることは減ったけれど、人を羨んだり焦ったり、そういう感情の起伏は知らず知らずストレスになってしまう気がする。それは会って話していてもそうなんだろうけど、SNSだと毎日のように目の当たりにする。けっきょく自分が見なければいいんだとようやく気づいた。そういう機能があるとイイねしなきゃいけないような気がしてしまうけど、Facebookもときおり近況報告する手段だと割り切ればいいのだ。LINEのタイムラインはもとより書かない。井戸端会議なら相槌をしなきゃ聞いてないのがバレてしまうけど、SNSならイイねしなかったからといって「アイツ、見てないな」なんて気づいて怒る閑人もいないだろう。1人くらいいそうだけど、それはそれで面倒くさいからいいや。よその世間はたまに覗き見するくらいでじゅうぶん。自分の暮らしを大切にしよう。



さて、みんなの近況報告を見なくなった時間で何をしようか。



□□□読んだ本□□□

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

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